※一部表現・肩書き等に掲載誌発刊時点のものがある場合があります。

だいぶ前だが、山形県の日本酒大賞という賞をいただいた。

副賞として様々な種類のおいしい山形のお酒を沢山送っていただき、 東京の酒好きな芝居仲間に配って喜ばれたのを覚えている。

「山形の酒は甘口が多いのかと思って敬遠してたけど、辛くて喉越しが 良くてまろやかでうまいね。きっと米と水が良いからなんだなぁ」

仲間が言った言葉である。

嬉しくなった。

私は十八歳で上京したので、山形で山形の酒をじっくり飲む機会はなかった。正月や法事の時に、酔っぱらいの親戚の親父達に無理矢理飲まされた「寿」の味しか知らなかった。

今でも実家に帰ると父が「寿」を飲んでいる。熱燗で父と飲む「寿」は今はうまいが、小学生の頃に飲まされた酒はにがくて喉が焼けるようで、大人は毒を飲んで嬉しいのかと不思議に思ったものだった。吐いたり倒れたりするぐらいなら飲まなきゃいいのにと子供の誰もが思ったはずである。

しかしそんな大人を見て育っても、二十歳を過ぎるとやっぱり吐いたり倒れたりしてまで酒を飲む自分がいるのだから愚かである。

今はもうお酒は二合までと決めている。

四十歳を過ぎたら二日酔いが激 しくなってきたからである。日本酒大賞にふさわしくない体質になって しまった。

しかし三年ほど前、六合飲んでも翌日にひびかなかったという体験をした。

世田谷の三軒茶屋の劇場で風吹ジュンさんが出演した芝居を観ての帰り、近くの居酒屋で友人達と飲んだ。店に入るや一緒にいた中村勘九郎さんが「あ、僕の好きな酒がある!アレ飲もう!」と指示してすぐに注文したのである。聞いたことのない酒だった。店の棚に数本並んだ一升瓶のラベルには筆文字で「十四代」と書いてあった。

コップになみなみと注がれた冷や 酒を芝居の話をしながら飲んでいるうちに六杯もおかわりしてしまったのである。スッキリとひっかかりのない初めての味で、ついつい飲み過ぎたのである。瓶を借りて良く見ると山形の酒だったので驚いた。どうして自分が知らなかったのかと悔しい思いがした。

勘九郎さんはファンの人に送って貰って飲んだらしい。「なかなかないんだよね、これ」と言うので「私は山形だよ。 親に言って送って貰うよ!」と豪語して店を出たのだった。

明日はきっと二日酔いだ、しまったなと思いながら床に就き、目を覚ますと爽やかなので驚いた。きっと体調も良かったし、気の合う友人達との愉快な話と重なったのもあるだろうが、酒が良かったのだと嬉しくなって、すぐに実家に電話した。勘九郎さんと私に「十四代」を送って欲しいと母に頼んだのだった。母も初めて聞く酒の名だったらしい。方々の酒屋を当たってくれたらしいのだが、どこにも置いてないという。律儀な母は製造元まで調べて問い合わせてくれたが、予約がいっぱいで直では売れないと断られてしまったという。「十四代」は山形では飲めない山形の酒だったのである。

その後、テレビの特集番組で「十四代」の事を詳しく知るようになって、腑に落ちたが、当時は理不尽に思えたものである。

あれから「十四代」を飲んだのは四度である。北海道の旭川での講演の後に接待を受けた居酒屋で一合。昨年五月の「宇宙堂」の本番中の差し入れに筑紫哲也さんが持って来て下さった五合瓶を夫と劇団員で飲んだ一合。十一月に二時間のドラマのロケで村山のソバ街道に出掛けた時、親切なソバ屋のオカミさんがや五合瓶を二本下さった。その内の一本を実家に送り、一本を夫と飲んだ。その後、仕事で実家に寄ったら、送った一本を飲まずに取っといてくれていたので、父と母と弟でちょっとずつ飲んだのだった。

こうなるともう、本当にうまいのか、なかなか飲めないから飲みたいと思うのか判らない。一合しか飲めないのだから、本当に二日酔いしないのかどうかも確かめられずにいる。

「十四代」のことばかり書いてしまったが、私の家の冷蔵庫には常に山形のうまい酒が冷やしてある。酒好きの友人に山形の酒を自慢するためである。


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(出典:『やまがた街角 第10号』2003年2月1日発行)

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文化、歴史、風土、自然をはじめ、山形にまつわるあらゆるものを様々な切り口から掘り下げるタウン誌。直木賞作家・高橋義夫や文芸評論家・池上冬樹、作曲家・服部公一など、山形にゆかりのある文化人も多数寄稿。2001年創刊。全88号。