米寿になる母は初期の認知症である。1年余り前、道がわからなくなって交番に保護されたことがきっかけだったが、今にして思えば、その数年前から兆候はあった。小さな変化には気にも留めずに数年を過ごしてしまう。

 携帯電話のメールで日常のやりとりは済んでいたし、本人もそれが自慢だった。携帯が壊れたから買い替えたいと言うので店に連れて行ったところ、電源が入っていなかっただけ。いよいよ壊れたと言うので新しい機種に替えたところ使い方がわからないと言う。充電が理解できず、機種が変わったからと言う。団体旅行で帰り道がわからなくなり、一時行方不明になって慌てたこともあった。そういう、さまざまなことが続いた矢先に、いきなり交番から電話が来て面食らったのである。本人は、いたって意気軒昂で「何だか変なことになっちゃって。悪いことはしていないのよ。」と警察官と話せて楽しそうだったが、傍で聴いていると話がかみ合っていない。

 働いていた母は独立心があり、退職後は独りで海外旅行ツアーに乗ることも多かった。経済的な不自由もなく、子どもにとってはありがたい存在だった。父とも、それほど仲が良かったわけではないが、その世代の常に従って夫唱婦随でやっていた。父が入退院を繰り返して亡くなるまで2年、その後も3年余り気楽な一人暮らしを満喫している様子だった。それは彼女自身が望んだことで、大正生まれの夫に仕える年月は大変だったであろうと推測するところもあり、近居で見守る日々だった。しかし、すべての公的な用向きは父がしていたこともあり、夫の指示や判断に従って動いていた生活の切り盛りができなくなったように見受けられる。

 毎月1回、ケアマネージャーとの次月の介護計画の打ち合わせがあるが、母の様子と自分が行なったケアの内容を報告すると「ありがとうございます」と言ってくれる。親に対してするのは当然という発想からは出て来ない言葉だ。それが仕事だと言ってしまえばそれまでだし、マニュアルにあるのかもしれないが、その言葉に救われる。自分が子育てに忙しい時期は、もちろん母も若く、手伝ってもらうことを当然だと思っていた。だからこそ今、母をケアするのも当然なのだが、ケアマネの感謝の言葉に救われている。一人で抱え込まずに済む介護保険制度のありがたみを感じる。




 母は何の根拠もなく、自分は死ぬまで自立して暮らせると思い込んでいた。それがそうはならず、戸惑いと不安で混乱しているのだが、プライドが高く助けてとは言えない。しかし口にこそ出さぬが、むしろ本人が一番わかっているのかもしれない。自分が認知症かもしれないという恐怖は怒りとなって現れ、こちらが気遣った言葉をかけただけで、自分をボケ老人扱いしているのだろうと攻撃して来る。「早く死にたい」が口癖で、それを聞くのが苦痛である。

 母の趣味は一人でやることばかりで、皆で活動するものは好まなかった。友人と行き来するのも外での会合が中心で、自宅で談笑するという習慣はなかったし、親戚づきあいも淡白だった。母の今の孤独は自らが招いたものなのだが、それも性格だから仕方がない。ほとんどの家事ができない今も、相変わらず自分でやっていると言い張り、自らの老いを認めようとしない。認めれば、心が折れてしまうのかもしれない。

 自分がその齢まで生きるかわからぬが、我が身に振り返って考える。老いは誰にとっても初めての経験だ。自分が変わっていくのを感じるのは、さぞ恐ろしいことだろう。しかもそれは自分の意思では止められないのだ。誰しも最期まで自宅で穏やかな日々を送りたいものだが、ずらりと病院のベッドに並ぶ寝たきりのお年寄りを見て、暗澹たる気持ちになったこともある。その時々の選択肢はあるにしても、自分にどういう運命が待っているのか、先はわからない。母は、その前に自分なりにしておくべきことを、最後に身をもって教えてくれているように思う。

 老いは誰にでも平等にやって来るが、その受け入れ方は、その人の生き様が端的に表れる場面かもしれない。それが穏やかなものか厳しいものかは予測できぬし、従容として受け入れることは難しいかもしれないが、突然に来て慌てふためくものでもないはずだ。今のうちにできることは何か。エンディングノートなど具体的な方法もあるが、まだ少し早い(と思う)。身の回りを片付けるなど些細なことからやっておこう。子どもたちに伝えねばならぬことも多い。よく「子どもに負担をかけたくない」と言うが、それは子どもの気持ちをも勘案しなければならぬ事案ではないか。負担をかけられることで親を見送る覚悟もできる。

 そして今は、できる限り実りの秋を愉しもう。種を蒔いて大事に育てて来たもの、意外なところで芽を出したもの、思いのほか不作だったものもある。そのすべてが生きて来た証だ。そして来るべき冬に備えて、少しずつ準備を始めよう。その時に、いい人生だったと思えるように、日々の小さな努力を重ねよう。介護の日々は、そんな風に自分を見つめ直す日々でもある。


(出典:『やまがた街角 第78号』2016年発行)
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文化、歴史、風土、自然をはじめ、山形にまつわるあらゆるものを様々な切り口から掘り下げるタウン誌。直木賞作家・高橋義夫や文芸評論家・池上冬樹、作曲家・服部公一など、山形にゆかりのある文化人も多数寄稿。2001年創刊。全88号。