「洗い里芋」がきっかけ

「日本一の芋煮会フェスティバル」の主役とも言える里芋を提供している「さとう農園株式会社」は、山形市の北部、青柳地区にある。現在、三代目で社長の佐藤卓弥さんを訪ねた。



佐藤卓弥さん


 佐藤家では曾祖父佐藤喜三郎さん以来、リヤカーで野菜売りの行商をしていたが、里芋を扱うようになったのは大正8年、祖父の佐藤清蔵さんからであった。その清蔵さんの代を初代とし、その後、里芋を中心に取り扱い始めたのは昭和62年頃からという。それまで里芋は、佐藤家では秋に地元で穫れた分だけを売っていたが、他県からも季節ごとに産地別に仕入れて年間を通して売れる体制にした。その画期的な取り組みが今日の「さとう農園」を支えてきたとも言える。
 そして、平成元年、佐藤家では行商を辞め、里芋を専門に仕入れて加工・卸販売をする「さとう農園株式会社」を設立、父で二代目の佐藤賢治さんが代表取締役に就き里芋専門店として事業をスタートさせた。その後、平成7年には里芋の苗の栽培も開始。平成14年には新工場を完成させ、翌年移転して、真空パック機など新たな設備を導入していった。
 工場の近代化とともに、大量に仕入れた里芋を商品化するために導入したのが、里芋を真っ白くツルツルに洗う装置と、丹念な手作業を惜しまない洗い加工の技術であった。
 「洗い加工ではツルツルでも薄い表皮は残す必要があります。栄養素と食感のためで、その技術ができる装置を導入したわけです。それでも表皮に赤い部分など不具合のある里芋がないかどうか一つ一つチェックしながら手むき作業をしています。手間のかかることですが、美味しい形の良い里芋を選別するためです。そうやって商品化するためには機械だけに頼らないことも必要です」と三代目社長(以下、佐藤社長)は、大量の里芋を使う日本一の芋煮会フェスティバルに関わることができた理由を語った。



里芋の洗い加工のようす


無農薬にこだわって

 さとう農園が「日本一の芋煮会フェスティバル」に3万食分の「洗い里芋」を3トンも提供するようになったのは、佐藤社長が山形商工会議所の青年部に入った翌年の平成19年からであった。
 「フェスティバルのある時期はちょうど里芋の出荷のピークで、当時はまだ他の出荷にも影響の出ないように調整するのが大変でした。でも、商工会議所の青年部に入って2年目でしたし、とにかく若かったので私自身パワーがあったのと、会社も軌道に乗って新しいことにチャレンジし始めた時でした。クリアできた実感はその後の大きな励みになっています」。
 平成20年、さとう農園は仕入れるだけでなく、地元青柳と西蔵王で里芋の自社栽培も始めた。農薬や除草剤を使わない有機農法を、協力してくれる農家に説得することにも苦労した。しかし、「無農薬がほしい」という消費者の声は大きく、消費者と農家が共存してできる有機農法を実践していくことにした。その信念は平成24年、農林水産省の「6次産業化法に基づく総合事業化計画」の認定事業者として認められることにつながった。


山形芋煮ファーム設立

 佐藤社長を大いに励ましたのは前述のことばかりではなかった。何よりの励みになったのは平成25年に、青年部の仲間4人で起ち上げた「山形芋煮ファーム株式会社」の設立であった。3人は保険、仏壇、クレープとまったく違った仕事を持つ仲間で、いわば異業種交流による起業であった。
 「しかし当時、開催日が9月の第1日曜日で里芋の収穫には少し早直ぎるということがありました。開催日に合わせて収穫することは大変な苦労でした。9月中旬に変わってから今年で4年目ですが、東日本大震災による福島原発の放射能問題が起こり、農業は新たな悩みを抱え始めてもいました。もちろん私達も放射能残量検査をしっかりやり、異常のないことを確かめ栽培に踏み切りました」。
 そこまで話すと、佐藤社長は意志を込めた目でなおも続けた。
 「苦境でしたが、自分達がやらなければ誰がやるんだ。これはやらなければならないことではないか。そんな想いを噛みしめながらも、仲間には、やってみたいという想いもありました。そうした希望を抱いてファームを起ち上げ、いろんな問題に立ち向かいながら仲間と一緒に力を付けてきたと思っています」。
 佐藤社長はファームの社長も兼任、仲間とともに生産から販売まで手掛ける事業を展開している。佐藤さん達の「日本一の芋煮会フェスティバル」への役割は当然のように大きくなっている。


「ナスカの地上絵」で発信


山形市スポーツセンター南東側の里芋畑に描かれた「ナスカの地上絵」のハチドリ(佐藤社長のプロジェクトがドローンを飛ばして撮影。)


 「日本一の芋煮会フェスティバル」は来年30回目を迎える。佐藤社長は、「100年、200年続くイベントにしたい」「地元が盛り上がって、もっと愛されるイベントにしたい」と語る。開催日が9月の中旬になって連休中でもあり、イベントに観光力が付いた。すると経済的な波及も期待される。そこで課題はリピーターづくりだが、地元山形市民がどれだけ親しんでいるかどうかという課題もある。山形市民にとっては昔から当たり前の芋煮会だが、フェスティバルも楽しみ方の一つになってほしいと、佐藤社長は語る。
 「里芋の畑で市民ボランティアが定植する活動もあり、その皆さんが当日会場に来て楽しんでいるという光景も多く見ています。学生のボランティアも含めておよそ200人いるわけで、その人達がイベントの楽しさを伝え、会場に足を運ぶ人が増えればと思っています。私達はその運営側としてイベントを支えていきます」。
 イベント名に冠した芋煮。その山形の里芋を世界に発信するという取り組みに、佐藤さんはこのほどチャレンジした。何とあの「ナスカの地上絵」のハチドリを里芋畑に苗囲いで描いたのだ。タイトルは「山形の里芋畑に、それは突如現われた」。佐藤社長の里芋に賭ける情熱が壮大なファンタジーとして描かれたのだった。「日本一の芋煮会フェスティバル」も一緒に世界へはばたいていくに違いない。


(出典:『やまがた街角 第82号』2017年発行)
※一部表現、寄稿者の肩書等に掲載誌発刊時点のものがあります。

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