七日町通りの交通状況。人も車も…


冬景色の繁華街

 昭和31年(1956)、師走の山形市七日町通り。

 13号バイパスは勿論、西回りバイパスも完成していなかった当時、この通り(羽州街道)は市内を縦断し、東北地方の各県を結ぶ唯一の幹線道路だった。片側一車線の街路を今でも『大通り』と呼ぶのは少々面映いが、あの時代の市民感覚からいえば的確な名称だった、と思う。伝統ある義光祭は勿論だが、オリンピックメダリストや大相撲力士のパレードなどもこの通りを花道にしていたから当然だろう。ボクも含め高齢者市民の多くは今でもここを『大通り』と呼んでいる。

 当時の大通りは一方通行ではなく、自転車専用レーンもなかった。上の写真のように、雪の日でもバスや乗用車の間を自転車が堂々と走っている。除雪作業も完璧ではなく、普通タイヤにチェーンを巻いた車がジャラジャラ音を立てながら走っていた。今では使用禁止になった悪名高いスパイクタイヤも、その頃はまだ登場していない。



雪どけの旭銀座を歩く人々。完成間もない「旭座」が左に見える


 一方、映画の街として賑わっていた七日町旭銀座。前年の30年(1955)に竣工した「旭座」前の十字路を、年配の男女が寺町方向に歩いて行く。黒のコート姿は今でも珍しくないが、右から2番目の雪駄履きに黒頭巾、大きな袖の『トンビ』を羽織った男性の装束が実に懐かしい。

 上の写真で特に気になるのは、全員がお揃いで背負っている風呂敷包みのことだ。その中身は一体何だろう?膨らんだ包みの輪郭(カーブ)から想像すると、お土産に持参した『新米』数キロではなかったか?と思う。

 戦後約10年経ったとはいえ、オコメはまだ貴重な時代。世間ではお土産として結構喜ばれていた、のかも知れない。半世紀前の庶民の暮らしを偲ばせる一齣である。


開発進む蔵王スキー場


登山ケーブルのゴンドラから眺めた上の台ゲレンデ


 蔵王スキー場の歴史は古い。

 米沢の五色と並んで明治時代に開発された蔵王は、大正から昭和にかけて数々のスキー大会が誘致され、樹氷のスキー場として有名だった。戦後の昭和25年(1950)、毎日新聞社主催のコンクール全国観光地百選・山岳の部で第1位に選ばれてから、蔵王は急速に開発が進むことになる。

 そして31年(1956)、上の台ゲレンデから見返り峠までの斜面に当時日本では初の三線循環式「蔵王登山ケーブル」(現在のスカイケーブル)が完成、蔵王は誰でも気軽に行ける山となった。

 上の写真はその翌年1月、初めて迎えた冬シーズンにゴンドラ内から撮影したものだが、上の台にヒュッテやレストランなどの施設が殆どなかった当時でも、これだけ大勢のスキーヤーがいるのには驚いた。

 33年(1958)、片貝沼畔に国際級のパラダイスロッジがオープン。その後37年(1962)には、横倉ゲレンデから地蔵山頂に至る大規模な「蔵王ロープウェイ」が完成。さらにその2年後、鳥兜山までの「中央ロープウェイ」も出来、蔵王は夏冬を通じ登山客が急増する結果となった。

 蔵王温泉観光協会によると、高度経済成長期のスキーブームに山形新幹線の開通が重なり、平成4年(1992)、過去最高のスキーヤー140万人が蔵王を訪れた、という。

 総面積305ヘクタール。単一スキー場として日本最大の蔵王は、ロープウェイやケーブル3本のほか、現在はリフト37基、それに全山12のコースと14のゲレンデが揃っている。


旅籠町商店街で火災


懸命に消火作業を行っている消防署員(左が梅月堂)


 繁華街大通りで、火災に遭遇したことがある。市民の防災意識が強く、消防設備の整った当市は比較的火災が少ないが、この朝、出勤途中に旅籠町一番街のメーンストリートで現場に出会った。ボクのネガ・アルバムには『33年撮影』とだけ書いてあって月日の記入がない。図書館で新聞の膨大な束から探すのも面倒だし、緑町の山形市消防本部に行って総務課職員に尋ねてみる。サスガ!消防本部だ。遠い昔の消火活動の記録が今でも整然とファイルされていて、親切に教えてくれた。

 火災は5月7日午前5時過ぎ、かつて七日町十字路北側にあった映画館「山形大映」(旅籠町二丁目2)と、老舗・人形店との間の洋品店(今はない)から出火し、店舗と併用住宅約60坪を全焼した。

 当日は乾燥していて快晴・無風。しかも当時の消防本部は市役所庁舎の隣だったから火災現場も同じ町内。通報と同時に消防車が出動し放水を始めたから隣の店にも延焼せず鎮火し、幸い人的被害もなかった。

 ただこの年の春は、市内にもう一つ目立つ火災があった。

 半月前の4月21日夜9時過ぎ、七日町(通称・寺町)「法祥寺」の位牌堂から出火し、同堂20坪を全焼、本堂82坪を半焼している。この夜は消防車20台、団員がなんと700人も出動したそうだが、隣接の「旭座」や「紅花劇場」などの映画館では、ロードショーを楽しんでいた大勢の観客を緊急避難させる騒ぎとなり、街は一時混乱した、という。


《参考資料・文献》
昭和33年4月22日付 毎日新聞朝刊
     5月8日付 讀賣新聞朝刊
昭和58年 山形放送編『山形県大百科事典』

(出典:『やまがた街角 第67号』2013年発行)
※一部表現、寄稿者の肩書等に掲載誌発刊時点のものがあります。

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文化、歴史、風土、自然をはじめ、山形にまつわるあらゆるものを様々な切り口から掘り下げるタウン誌。直木賞作家・高橋義夫や文芸評論家・池上冬樹、作曲家・服部公一など、山形にゆかりのある文化人も多数寄稿。2001年創刊。全88号。