今からちょうど百年前の大正2年(1903)、山形の町中では最上義光公没後300年を記念して「義光祭」が開催され、それから数年にわたり、10月18日頃に仮装行列や飾り物で町中は盛り上がった。乃し梅本舗「佐藤屋」所蔵の未公開古写真と「山形新聞」から、その賑わいをご紹介しよう。なお、佐藤屋は十日町と三日町の交差する場所にあり、現在も住所は十日町だが、町内会は三日町に属している。このため三日町の写真が大半を占める。

❶ 大正2年三日町飾り物「大達磨」



 三日町の中央に飾られた高さ三丈五尺(約10.5m)の大達磨で、白い点のように見える電球で飾られている。羽織袴の旦那衆(中央)や印半纏の大人たちに混じり、左側には子守をする子どもたちも写っている。「山形新聞」によれば、三日町は「赤穂浪士泉岳寺引き上げ」で19日の仮装行列に参加したようだが、当家に写真は残っていない。どちらかの旧家に残されていないだろうか?


❷ 大正3年(推定)飾り物「膠州湾占領」



 「膠州湾占領」と書かれ、上部に兵隊の人形が飾られた張りぼてのまわりを人々が囲む。大正2年の大達磨同様、三日町の中央に飾られたようだ。大正3年(1914)8月に日本は第一次世界大戦に参戦、ドイツの租借地であった中国北部の膠州湾を攻めており、同年の飾り物と推定される(但し、膠州陥落は11月)。消防団第三部の旗や纏、荷車付きの龍吐水が見え、彼らが製作の中心となったのだろうか。


❸ 大正4年「百福行列」



 光禅寺本堂前にて、お多福の仮面を着けた三日町一行に、福助と奴姿で個人参加の一行が混じっている。百福は絵としても描かれるめでたい題で、新聞では「100名からなる百福姿は綺麗なり」と賞賛され団体3位を受賞した。この時の記事には「義光祭と仮装行列は離るべからざる関係を生じ、山形名物の一に数へられる存在」とあり、3回目を迎えて仮装行列は義光祭の中心を占め、山形市内の風物詩として定着していったようだ。


❹ 大正5年「親子行列その1」



 神代から江戸時代まで、公家、武士、僧侶など様々な階層の仮装をした三日町衆。光禅寺の庭にて撮影。女装が多いことや、公家や武将など衣装へのこだわりが面白い。必ず親子で参加する、というのも工夫の一つだった。この年は奥羽六県連合共進会の開催も重なり、例年以上に盛り上がったようだ。


❺ 大正5年「佐藤松兵衛親子」



 同年の行列に参加した、佐藤家の紋入りの裃(現存)を着た武家姿の四代目松兵衛と、刀鍛治姿の徳太郎(後の五代松兵衛)。「忠義の直助」とある背中の小旗から、鍛治姿は講談『赤穂義士外伝』などで有名な忠僕・直助に扮していることが分かる。この写真は吉野屋製の絵葉書になっている。

 ところで、当家の記録によれば徳太郎はこの時期、上野・風月堂で修行中のはずで、この祭りのためにわざわざ帰省したのだろうか。そうだとすれば、お祭り好きの佐藤家の気風は昔から変わらないようだ。


❻ 大正5年(推定)「親子行列 2」



 中央の少年の背負う小旗や、親子での参加が多いことからすると、「親子行列」の一部と思われるが、庭での集合写真には彼らは含まれていない。武家姿の少年や鞍馬天狗の青年、水戸黄門であろう老人など、幅広い年代が参加している。


❼ 大正6年「とり尽くし」



 写真の裏書きから、同年のものと分かる。三日町は「仇討(かたきとり)」、「借金取」、「相撲取」など「とり」のつく語の仮装をし、団体の部一等となった。単に仮装をするだけでなく、言葉遊びを織り交ぜる工夫がうまくいったのだろう。写真中の医者が持つ鞄には「評判取」とかかれ、名医の意味。左の女装したような人物が佐藤家の者だが、いったい何の仮装なのだろうか。


❽ 大正8年「平和の新国民」



 新聞では「世界平和行列」と題した三日町一行約50名。日本だけでなく、ヨーロッパや中国、アフリカ、果ては天使姿の仮装も見られる。三日町の佐藤久吉氏ら有志が手がけたもので、一等賞を受賞した。新聞によれば、三日町は光禅寺へと続く町として、例年義光祭に力を入れており、入賞候補の常連だったようだ。


❾❿ 昭和28年「め組の喧嘩」




 大正9年以降、昭和20年代前半は戦争の影響か、仮装行列の写真は当家に残っていない。しかし、昭和28年、「山形まつり」と名前を変え、以前同様10月18日に実施された仮装行列の写真が残っている。

 戦前と違い、徒歩ではなく自動車の上に舞台を作り劇を演じたようだ。五代松兵衛は女装した和服姿で、鳶口を持った火消し姿の人物と写っている。相撲取り姿の人物も見え、歌舞伎「め組の喧嘩」と思われる。


 当家に残る、「義光祭」に関係する仮装行列の写真を紹介してきた。いずれの写真からも、観る人たちを楽しませようと工夫を凝らしつつ、大人と子どもが一緒になって自らも楽しんでいる様子がうかがえる。今回の400年記念に際して、この100年前のエネルギーを、私たちは少し見習ってもいいのではないか。

 ところで、佐藤家には、この他にも約3000点の書類や写真(アーカイブズ)、菓子作りの道具などが残っており、母・淳子と一点ずつ番号を付け、調査し、佐藤屋本店で季節限定ながら展示している。皆さんのお宅にも、100年くらい前の写真ならば、きっとあるはず。皆で持ち寄って、町の様子や写っている人たちを調べていけば、きっと楽しいだろう。

(出典:『やまがた街角 第66号』2013年発行)
※一部表現、寄稿者の肩書等に掲載誌発刊時点のものがあります。

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文化、歴史、風土、自然をはじめ、山形にまつわるあらゆるものを様々な切り口から掘り下げるタウン誌。直木賞作家・高橋義夫や文芸評論家・池上冬樹、作曲家・服部公一など、山形にゆかりのある文化人も多数寄稿。2001年創刊。全88号。