●温泉大好き人間
長岡信也 <コピーライター カメラマン>
伊藤博美 <フリーアナウンサー 温泉ソムリエ>
進行役/編集部
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なぜ山形は温泉天国なのか

編集部 山形は温泉天国と言いますけど、どうしてだと思いますか。

伊藤 温泉天国にしてしまったという感じですよね。言ってしまえば。

長岡 掘りゃ出るよねということなんでしょうね。まあ都道府県にもよるんでしょうけど、ほとんど掘りゃ出るんじゃないですか、日本って。曖昧な言い方ですけど。

伊藤 山形県の温泉協会で出している『やまがた温泉散歩』という本がここにあるんですけど、県の温泉開基の年表を見ると、蔵王の欄からダーッと温泉地名があって、自噴泉がだんだん続くんですけども、やっぱり後半のほうになってくると開基も昭和とか平成になってくる。(以下、二人しばらく本を見ながら)

長岡 もう掘っているわけね。

伊藤 うん、掘っている。竹下さんのふるさと創生から。

長岡 そうそう、それの時だね。あの創生資金の時に各市町村でバンバン温泉を掘った。ただ、その一億円を温泉施設にかけるっていうぐらいだから、山形県民が基本的に温泉好きだってことだよね。でなきゃ掘らないよね。

伊藤 確かに。ただ昔からある自噴泉とかの温泉地の人とかからすると、まあ批判ってわけじゃないんだけど、やっぱりそういうふうに掘作して、乱立して、それでたとえば立ち行かなくなるっていうのは、結局本末転倒なんじゃないかみたいなことを意見として持っている方もいるので、その辺ってちょっと触れちゃうと微妙なんですけれども。

長岡 しかし、この本見ると知らない温泉もあるね。千歳温泉、白岩温泉。面白いね、これ平成十七年のデータだもんね。へーなるほど。

編集部 何年に刊行されたやつなんですか。

伊藤 平成二十二年です。

長岡 県民のニーズにあわせて市町村が頑張っちゃった結果、その新しい温泉施設が平成に入ってからドッと増えたというところなんだと思うんですけど。ただそれでも、昔から歴史のある温泉場はやっぱりたくさんあるわけで、そこが山形の温泉の核ではあるんだろうなと思うし、今だってそうですよね。

編集部 結局、温泉というのを特別な施設としてではなくて、日常の中で身近に感じているというか、そういう県民性なんだろうと思う。

伊藤 うん、県民性だし、そういうふうにもう各市町村に一つとか出来たことで、山形はもともと車社会だから、車で十分、十五分と行けばお隣の町、自分の市もそうだけど、隣の町の温泉にも入れるようになって、より温泉そのものを身近に感じることができるようになったというメリットというか、利点もたくさん日帰り温泉施設が出来たことではあると思います。
そして、一方ではそういう部分の良さというのも間違いなくあると思います。

長岡 昔は、庶民の家のお風呂がないっていうのが当たり前だったりもしたじゃないですか。私も小学校五年の頃、家を親が建てるまではずっと借家で、やっぱり銭湯へ行っていましたからね。
昭和四十三年ぐらいまでだったかな。あの頃から後になって温泉がダーッと出来ているわけですね。それ以前ってやっぱり古いところしかなくて近場には温泉施設がなかったわけです。だから銭湯だった。

温泉に入るなんていうのは、やっぱり特別な行為だったわけですよね。で、山形に帰ってきたのが二十五歳の時なので、(『やまがた温泉散歩』のページを指しながら)さらにそこからこれだけ増えているわけですからね。

温泉が県民にとって身近な存在になってきているというのは、改めて見ると、ほんとに最近なんだね。

伊藤 そうです。平成に入ってから。

長岡 山形は温泉天国なんて言っているのは。
逆に言うと、その山形市内、県内全体でも、銭湯がどんどん廃れていって無くなっていき、それはイコール自分の家に浴室が出来たのと同じ時期でもあった。そうやって銭湯がなくなっていくのに併せて、どんどん温泉が掘られて出来ていったという感じはありますよね。

日帰り温泉の良さや楽しさってありますけど、やっぱりよその町の温泉にいくのって楽しいですよね。でも、逆に温泉に親しむ機会が増えているので、昔ながらの温泉に行ってみてほしいというふうには思いますよね。

伊藤 そうなんです。はい。

長岡 昔ながらの温泉って湯治場の歴史があるので、日帰り温泉、最近はもう必ず足湯が用意してあったりするけど、温泉というのは基本は泊まり客のもの、観光客のものなので、地元の人間って行きづらい場所でもあった、きっと。
でも、今は日帰り温泉の施設がどこの温泉場でも用意されている。だから、むしろそういう古いところにも・・・

伊藤 行って欲しい。
古いところって、お湯そのもの、つまり本来のお湯の姿を守って、ずっと引き継いで来ているっていう、それってすごいことですよ。

長岡 百年、三百年お湯が出続けているわけですからね。

伊藤 いま新しい施設とかだとやっぱり機械とかで管理するのが普通ですけれども・・・。
古いお湯を守っているのをみると泣けて来たりするんです。

長岡 古いところね。それどこを思って泣いているの?

伊藤 何かこう大変だなって。

長岡 羽根沢とか?

伊藤 羽根沢もいい湯ですが、それよりも歴史の古いあと白布(しらぶ)とかも。山奥の雪の中の源泉場みたいなところに行ってまで管理してくれている。

長岡 みんなでね。

伊藤 白布温泉の西屋さんの若女将のコラムとか読んでいるともう。雨の日も雪の日も源泉場みたいなところに行って管理して。

長岡 うん。もっと言うと、古い温泉は第三セクターではないので、新しい温泉ってほぼ第三セクターだったり民間だったりするんですけど、やっぱり古い温泉って違うので、そこを守り続けているっていう。

伊藤 個人でということになると、補助金とかが入っているのとは違う意味でいろんな体力を使うわけですよ。管理方法しかりお金の部分しかり、広告物とかのPR法一つでも。

長岡 それしかりね。

伊藤 でも、そうやって守ってきているってすごいことだと思いますし、本来の姿のままで、今ここまで守ってくるっていうのは・・・。新しいところでの身近な日帰り施設の良さも十分知ったところで、本来はこうなんだよっていう、そこに立ち戻ってほしいみたいな気持ちがすごくあるんですよ。

長岡 それは一緒ですね。
「温泉どこがいい?」って聞かれたときに、という話ありましたけど、私が聞かれたときには、「髪洗いたい?」って聞きます。「女の人も一緒?」って。女性が髪洗うのには、ちゃんとしたシャワー設備が必要なんですよ。こうやって「ザーッ」は行かないので、ね?

伊藤 確かに

編集部 男はそれで。

長岡 男は何でもいいので。しかも別にリンスインシャンプーでなくたって、石けんあればわーっと洗って。

伊藤 ちょっとキシキシしてもね。

長岡 風呂から汲んでもいいんですけど、やっぱり女性がいて髪の毛を洗うってなると、やっぱり古い温泉場だと不都合な施設もあるので、「女性が行く?シャンプーする?」って必ず聞くんです。だから古い施設って、そう言う意味での快適さ、簡便さっていうのは傾向としてはないのかな・・・。

編集部 そういうところはね。

長岡 でも、どうせだったら平場でちゃんと髪の毛洗って、そこから山奥に入って、ザブンと浸かるっていう。おかわりみたいな感じで。

伊藤 そうですね。

長岡 だと山場の温泉も十分楽しめるんじゃないかなっては思いますけどね。「シャワーないっけ」とかね。そこが一番の不満の原因なので。

編集部 だけど昔は、それないのが当たり前だったもんね。

伊藤 うちもけっこう普通に庶民の古いうちだったから、私が高校二年生ぐらいまでシャワーはなかったんですよ。だから慣れているのもあるかもしれないなって。

長岡 桶からこれ。

伊藤 全くの余談だけど、そうそう。だって髪洗うにしてもそうだったから、だからシャワーも出たときは何て快適なって思いましたけど。

長岡 余談ですけど、どうしてもシャワーが混んでいたりすると、今はやっちゃいけないんでしょうけど、桶だけ余っているので、風呂場からこうやって頭洗ったりしていたんですよ。でね、羽黒のゆぽかってあるんですよ。私はシャンプーが好きじゃないので、基本石けんで頭も洗うので、固形石けんで洗っていたらあそこのお湯かけたら固まるの。

伊藤 塩分と石けんの何かが反応するのかな。

長岡 カルシウム化するっていうか。

伊藤 カルシウムも入っているかも。

長岡 もう髪型自由自在。あーって。

伊藤 温泉で髪洗うとね。ギシギシ。

長岡 そうそう。

伊藤 特に私もですけど、薬剤とか使っちゃっているからね、カラーリングとかで、となるとシャワー源泉なのはうれしいんですけど髪洗うとキシキシになる。温泉成分なので。

長岡 源泉がシャワーに供給されているところもあるし。

伊藤 うん、そうです。そういうところもあるので。温泉行ったら、せっかくの温泉成分をちゃんと肌に残して欲しいから、シャワーで洗い流すのではなくて、掛け湯になっているところから「上がり湯」をしてほしんですけれども、源泉でシャワーだと必要ないというか、そのままザッザンってつかっちゃえるから、そういうのはいいですよね。


肘折温泉


>>>さらにvol.3に続く。

>>>vol.1
>>>vol.2
>>>vol.3

(出典:『やまがた街角 第32号』2018年発行)

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文化、歴史、風土、自然をはじめ、山形にまつわるあらゆるものを様々な切り口から掘り下げるタウン誌。直木賞作家・高橋義夫や文芸評論家・池上冬樹、作曲家・服部公一など、山形にゆかりのある文化人も多数寄稿。2001年創刊。全88号。