※一部表現・肩書き等に掲載誌発刊時点のものがある場合があります。

長岡 信也(建築写真家)

 季節はちょうど夏の入口だった。百ページ超のパンフレットが完成しての打ち上げで、クライアント、印刷会社、うちのスタッフが一堂に会した。

 場所は天ぷらと日本料理の店。小さいながら二階に宴会専用の座敷がある。誰も信じてくれないが、極端な人見知りの僕は多勢が集うパーティや飲み会がとにかく苦手だ。その点、「T」の二階で始まった宴は居心地が良かった。多少年齢のデコボコはあるが、みんな気心の知れたメンバーだったからだ。話しは弾み、酒は進み、酔いは宵とともに巡り、時も回る。実に楽しかった。

 天ぷらの次にフレンチというありえないリレーで、二軒目は「M」というフランス料理店だった。簡単なオードブルとワインの瓶がテーブルに並んだ、と思う。僕は店に入るなり、シェフやマネージャーを相手に管を巻いた、と後から本人たちに聞いた。

 どれぐらい「M」にいたのだろう。外に出ると爽やかな夜風が頬を撫でた。 店の前で「お疲れさま」と声を掛け合って散会。何名かが帰り、残った何名かで三軒目を目指した。

 美味しいビールが楽しめるスタンディング・パブ。在県の外国人客も多く、妙に居心地のいい「R」は僕もお気に入りだった。ところが、そこで初めて、しこたま酔っている自分に気がついた。気持ちを引き絞って、残っていたクライアントのことを若いスタッフに委ね、その店を出た。

 タクシーを拾おうか。自宅までの約二十分歩いて帰ろうか。

 暑い。身体が汗ばんでいる。

 ぬったりと目を覚ますと、僕は、自宅駐車場に停めてあるマイカーのセカンドシートに横たわっていた。
陽はとうに高い。どうやら無事にたどり着きはしたものの、車に乗り込んで眠ってしまったようだ。重い身体を持ち上げ、悪びれながら家に入った。

 「いやあ、帰ってきてたんだけどさ、 車の中で寝ちゃってたよ〜」

* * *

 昨夜、ちょうど僕が「R」を出てまもなくの時刻、店からほんの二百メートルほど離れた路上の植え込みに、頭だけを突っ込み、体を車道へ投げ出すようにして男が倒れていた。

 車で通りかかった人が、交通事故!? 死んでる!? と心配し、わざわざ車を降りて様子をみてくれた。どうやら息はある。ケガはないようだ。声をかけるが男の反応はない。このままでは本当にクルマに轢かれしまう。困ったあげく警察に連絡する。ほどなくパトカーが到着、またたくまに回りに人垣ができた。

 当時、割烹の板前だった「O」は、仕事を終えての帰り道、たまたまその騒ぎに出くわした。弥次馬心で人垣の中をのぞき込むと、そこには見知った男が、死んだように横たわっている。驚き慌てて「これは私の友人です!」と言って出て、自分が責任を持つからと約束しパトカーを見送った。

 しかし「O」は自転車通勤、一人で連れ帰るのはとうてい無理だ。男の携帯の番号は知っていたが、当の本人がこれでは役に立たない。そこで、男と共通の知人に連絡して自宅の番号を聞き出し、その妻に状況を伝えたのである。

 妻が駆けつけるとまもなく、男はムクッと起き上がった。そして辺りを一瞥して「O」の姿を見つけるなり、ハイテンションでこう口走った。「こーんなとこで、なーにやってんだ、おまえ! バシバシ!(「O」の身体が叩かれている音)」

 呆れ果てた妻は、有無を言わさず車のセカンドシートに男を押し込むと、「O」に深々と頭を下げ、悪夢のような現場を後にした。

* * *

 「……なに言ってるの?」

 この時の奥さんの表情を、愛想もこそも尽きた、と言うのだろう。冬なら死んでいたかもしれないのだし。

 文翔館のほど近くにその植え込みはある。今も前を通るたびに自省の念に駆られる。そう、反省はしている。しているのだが、僕には記憶の欠片さえ残っていないのだ。

(出典:『やまがた街角 第45号』2008年12月1日発行)

●『やまがた街角』とは
文化、歴史、風土、自然をはじめ、山形にまつわるあらゆるものを様々な切り口から掘り下げるタウン誌。直木賞作家・高橋義夫や文芸評論家・池上冬樹、作曲家・服部公一など、山形にゆかりのある文化人も多数寄稿。2001年創刊。全88号。


写真はイメージです(笑)