霞城の桜


春、山形市の桜の名所といえば、約1,500本もの桜が咲き誇る「霞城公園」。
「山形城」の城跡を整備した都市公園で、満開の頃には土塁園路に桜のトンネルができ、東から南堀沿いの桜がライトアップされて幻想的な姿を見せてくれます。
さまざまな歴史の舞台となった「霞城公園」は、山形のシンボルといえる存在。意外に知らないその魅力を見つけに、〝過去と未来〞へタイムトリップしてみませんか。


山形城跡二ノ丸東大手


最上義光は、どこに向かっている?

いざ、長谷堂合戦へ先陣切り決戦に向かう勇姿

 東北屈指の戦国大名で初代山形藩主の最上義光公が、その礎を築いた「山形城」。本丸・二ノ丸・三ノ丸の三重の堀と土塁で囲まれた、全国でも有数の広さを持つ平城で、別名「霞ケ城」とも呼ばれていたそう。まず、「霞城公園」の名前の由来ともなったその理由から、「城下町やまがた探険隊」副隊長の熊坂俊秀さんに伺いました。
「山形城は、斯波兼頼が1356年に室町幕府の羽州探題として出羽国を統治するために山形に入り、築城したのが始まりと伝えられています。この兼頼公の子の直家公から最上姓を名乗って、義光公は11代目の城主になります。山形市の西の丘陵に長谷堂城という山城があって、ここで出羽の関ヶ原といわれる長谷堂合戦が起こりました。徳川方の最上義光軍と豊臣方の上杉景勝の重臣・直江兼続軍が激戦を繰り広げたんです。その際、山形城が霞で隠れて敵陣から見えなかったことから〝霞ケ城〟とも呼ばれていました」
 山形城二ノ丸の正門にあたるのが、1991年に復原された「二ノ丸東大手門」。堂々とした石垣、勇壮な城門と白壁の調和した姿が美しく、江戸時代の凛とした風格が漂っています。この二ノ丸東大手門から「霞城公園」に入り、すぐに目に入るのが、愛馬に乗った義光公の騎馬像。前足を高く上げた馬は、今にも駆け出しそうです。


城下町やまがた探険隊 副隊長 熊坂俊秀さん


「義光公が先陣を切って、長谷堂合戦に向かっていく勇姿が銅像になっています。山形鋳物で再現されて、1977年に建立されたんですよ。馬が後ろ足2本だけで立っている像は、世界的にも珍しいそうです」長谷堂合戦はすさまじい戦いで、現存する義光公の兜には弾痕が残り、激戦を物語っているとか。この戦いの功績によって57万石、全国第5位の大大名となった義光公ですが、どいざ、長谷堂合戦へ先陣切り決戦に向かう勇姿んな人物だったのでしょうか。
「これは個人的な意見ですが、義光公は戦いを好まない人だったような気がします。若いときから武略に優れていたといわれ、戦国乱世の時代ですから敵に対しては容赦しなかったでしょうが、滅ぼした藩の武将を皆殺しにしたりせず、最上家の家来としてとり立てました。情のある人物だったのかもしれません」
 戦乱の世が去ると、山形城の城郭の拡張や城下町の造成、寺社の再建や治水・灌漑事業などに力を尽くした義光公。連歌を好み、文人としての一面もあったといいます。「古典に精通していて、上の句と下の句を複数の人で分担して詠みあう連歌の達人だったといわれます。義光公が関係した連歌は33巻にものぼっていて、上方や京の文化人とも交流があったようですね」


最上義光騎馬像


霞城の桜は、いつ誰が植えた?

東が高くて西が低い山形の地形に合わせたお城

 蔵王連峰を水源として山形市を流れる馬見ヶ崎川。山形城はその扇状地に築かれた城で、地図を広げてみると、ある発見がありました。「城下町の通りが碁盤の目になっていますが、城のお堀も通りも真北を向いていません。東からの等高線と、ほぼ向きが合っているんですよ」
 なんと山形城と城下町は、標高約180mから120mと60mもの高低差のある等高線に合わせて、北東に傾いて築かれていたのです。
「山形城は、東が高くて西が低い山形の地形に合わせてつくられたんですね。二ノ丸のお堀は全部繋がっているわけではなくて、南門と北門のところで途切れていますが、そこに立ってみると東と西で水面に段差があるのがわかりますよ」
 しかも城下町が山形城の東、つまり上の方にあり、これも全国的に珍しいのだとか。義光公が町人の生活を重んじたとか、本丸の取水のために地下水脈に合わせたなど、いろいろな理由が考えられていますが、いずれにしても山形城も城下町も先人の知恵から生まれたといえます。


霞城公園の桜


日露戦争の凱旋記念に歩兵三十二連隊が桜を植樹

 今は山形市随一のお花見スポットになっている「霞城公園」。その桜にも歴史を語る物語があります。「西側の土手にある〝霞城の桜〟はエドヒガンで、根元の周りが7m余り、樹齢は600年を超えると推定されています。斯波兼頼が山形城を築城した当時のものとされて、霞城公園では一番長老の桜です。これは一見の価値がありますよ」
「霞城公園」では約1,500本の桜が咲き誇りますが、その多くはソメイヨシノ。これは明治時代の1896年、山形城跡に陸軍の歩兵三十二連隊が置かれ、当時駐屯していた将兵が、日露戦争の凱旋記念としてソメイヨシノ1,000本を植樹したとされています。そして時を経て、第二次世界大戦後に山形城跡は「霞城公園」として一般に公開されるようになりました。
「南門のあたりで、きれいなカワセミが飛んでいるのを見かけることもあるんですよ。霞城公園をゆっくり歩いてみてください。歩くとわかることがありますから」
 二ノ丸東堀のお堀端をJRが走り、桜が見頃を迎えると奥羽本線、左沢線、仙山線の一部で、列車が山形駅と北山形駅の間で速度を下げ、徐行運転をしてくれます。車窓から堀沿いの桜を楽しんでもらおうという粋な配慮で、山形ならでは。義光公も時空を超えて桜を愛でながら、山形の発展を見守っていることでしょう。


歩兵第三十二連隊碑


桜の季節には二ノ丸東堀のそばでJRが徐行運転



整備が進む霞城公園、その未来の姿は?


霞城公園完成イメージ鳥瞰図


発掘調査と復原工事のプロジェクトが同時進行中

 「霞城公園」は1979年、山形市の市制施行90周年の記念事業として整備がスタート。現在、2033年の事業完了を目指して、発掘調査と復原工事のプロジェクトが進行中です。長い間、スポーツや文化の拠点として市民に親しまれてきた「霞城公園」がどのような場所に変わるのか、興味津々。その〝未来の姿〟を知ろうと、山形市まちづくり政策部公園緑地課を訪ねました。
「霞城公園は1986年に『山形城跡』という名称で国の史跡に指定されました。史跡は後世に残していく重要なものですから、文化庁の基準に沿って整備を進めなければなりません。復原にあたっては、歴史的な史料や図面、遺構など、史実に基づくことが絶対条件で、発掘調査をしながら整備を進めています」
 史跡としての整備が優先で、発掘調査では、新しい遺構が発見されることもあります。
「じつは、山形城二ノ丸土塁跡の北東部分の発掘調査で、〝屏風折れ土塀〟の礎石が発見されました。大変貴重で珍しい遺構で、実際に見つかったのは全国で山形城が初めてなんです。お城の土塀といえば、まっすぐな白壁が思い浮かぶでしょうが、見つかった礎石は途中で三角形に折れ曲がり、外側に突き出した形になっています。この礎石の上に〝屏風折れ土塀〞があったとされ、所々折れ曲がった土塀に鉄砲や弓で攻撃するための穴があって、敵が攻めてきたとき、正面の敵だけでなく、左右からの敵に向けても攻撃することができたわけです」
 まだ詳しいことはわかっていませんが、この土塀が築かれたのは最上氏の後に藩主となった鳥居氏の時代といわれ、歴史ロマンを感じます。


山形市まちづくり政策部公園緑地課( 左から) 熊谷直樹さん・奥山樹浩さん・山口惇生さん


山形城屏風折れ土塀の礎石


「山形城VR/AR」で現代に再現したお城を体感

山形城の昔の姿を思わせるのが、「霞城公園」の中央の本丸御殿跡にどっしりと構える「本丸一文字門」。現存する絵図面をもとに、2014年に復原されました。
「本丸に天守閣はなく、藩主が生活する御殿が建てられていました。山形城は絵図面があまり残っていなくて、特に本丸御殿は間取り図はありますが立面図が全くありません。本丸の出入り口は2か所で、一文字門と北不明門があったといわれています。北不明門は、石積みの下の方が残っていて形跡が現れていますので、発掘調査の結果をもとに復原を進めて、本丸の城郭としての風格が高まるように整備する予定です」
 〝山形の宝〟といえる大切な文化遺産で、2006年に「日本100名城」にも選ばれた山形城。デジタル技術によって、その姿が現代に甦る新しい試みも。
「今年4月から『山形城VR/AR』をスタートしました。山形城をVR(仮想現実)で擬似体験できるよう本丸御殿などをCGで再現し、スマートフォンで専用のアプリをダウンロードするとその映像が見られるシステムです。園内の8か所に設けたVRポイントで、いろいろな場所からCGが見られます。たとえば、目の前の風景は桜の木だけれども、昔はここに本丸御殿があったというのが画面に映像で再現されるんです。AR(拡張現実)ポイントも1か所あり、ここではスマートフォンのカメラに本丸御殿のCGを浮かび上がらせ、そこに実際の背景と自分の姿を重ね合わせて、一緒に記念撮影することもできるんですよ。ただし、『山形城VR/AR』は実際に霞城公園に足を運ばないと見られません。ポイントを回って楽しみながら、歴史散歩していただきたいですね」


本丸一文字門(石垣・大手橋・高麗門・枡形土塀)


山形城VRイメージ画像


 これまでに県体育館の西側に「桜の園」、県立博物館の南側に「梅の園」が整備され、桜のトンネルができる二ノ丸土塁園路も整備が進んで、山形の春を彩ってくれます。
「現在は本丸堀土塁の復原を行うとともに、北側エリアの整備を進めています。この北側エリアは、子どもの遊び場としてアスレチックなどを設置する『森の広場』と、市(いち)や祭りなどのイベントを開催して、交流とにぎわいを創出する『歴史の広場』として整備する予定です」
 今、お城巡りでひそかなブームになっているのが「御城印」。お城を訪れたときにもらえる登城記念証で、「山形城御城印」も昨年10月から最上義光記念館で販売されています。


北側エリア「歴史の広場」・市や祭りのイメージ


「霞城公園は山形城跡ということで、歴史的にも重要な場所です。史跡を復原して後世に残すとともに、市民の皆さんに気軽に来ていただけるよう、お城を生かして魅力ある公園をつくっていきたいと考えています」
 山形の新しいシンボルとして整備が進む「霞城公園」。その〝未来の姿〟に期待が高まります。


山形城御城印「通常版」


音海はる氏イラストの「ARを活 用した特別版」


構成・文/たなかゆうこ
取材協力・写真提供/城下町やまがた探険隊・山形市まちづくり政策部公園緑地課・山形市観光協会