ヘルシンキの目抜通りにある老舗学術書店には、本と建築好きが集まる。
美しいアアルト建築の静かな空間で、本を片手に過ごす贅沢なひととき。


2階エスプラナーディ通り側から見渡す店内。 正面奥にはカフェ・アアルトが入っている。


 1年の半分以上が冬で厳しい寒さの北国フィンランドでは、家の中で過ごす時間がとても長い。数少ない娯楽の一つに本、読書がある。フィンランド人は、書店や図書館に頻繁に足を運ぶ習慣がある。書籍は、学問や知識を得るためだけではない。読書は、未知の世界に没頭できる大切な娯楽時間でもある。このデジタル時代においても、紙の本を贈りものにする文化は根強い。

 ヘルシンキ中心部のエスプラナーディ通りにある、アカデミア書店は、1893年にアルヴァ・レンクヴィスト氏とゴスタ・ブランダース氏の2人によって創業し、2023年は130周年を迎えた。ヘルシンキ本店は、国内最大規模を誇り、最も古い書店のひとつだ。

 創業当初から、本好きのために多彩な学術書と高品質なサービスを提供し、読書と生涯学習に尽力する。という明確なビジョンを持ち経営を続けてきた。2015年には、スウェーデンのボニエ・ブックス社の傘下に入ったが、本好きが集まる場所として、いまも変わらずその精神は続いている。

 現在は国内に4店舗を展開。この伝統ある書店を次世代に残していくために、経営陣の強化にも取り組んできた。経営陣の5人は、いずれも書籍出版業界で長年経験を積んだスペシャリストが揃う。最高経営責任者のマルヨ・トゥオミコスキさんに話を聞いた。

「人一倍、本に対する愛情と情熱があり、子供の頃からアカデミア書店で働くことが夢でした。私にとってここは本の聖地。魅力的でインスピレーションにあふれた人たちが集まる最高の職場です。」


フィンランド人は本を読むのが好きだ。近年は若い世代を中心に日本のマンガも大人気。


アアルトが生み出す心地よい空間、本と人をつなぐ

 アカデミア書店が入る建物は、「本の建物(Kirjatalo)」と呼ばれ、親しまれている。20世紀を代表するモダニズム建築家のアルヴァ・アアルトが、1969年に設計した。人々の暮らしをより豊かに、居心地の良い空間で過ごしてほしい。という願いを込めてデザインされた。地上3階、地下1階の4層構造は、吹き抜けの天井で開放感がある。白い大理石の壁に、回廊式の上階は、ゆったりとしたスペースが設けられている。地下では、フィンランド最大のデパート、ストックマンとつながっているので買い物にも便利だ。

 上を見上げると、本を開いたようなユニークな形をした天窓からは、やわらかな自然光が差し込む。やさしい光が書籍を照らす。正面入口のドアには、波が重なり合ったような取っ手が3つ付けられている。これは、子供、高齢者から背の高い人まで、ドアを開けやすいようにと配慮されたデザインだ。

 正面入り口を入ったところにあるスペースには、いま話題の書籍が並ぶ。1階奥には、児童向けの絵本をはじめ子供たちがじっくりと書籍に向き合うことができる、机と椅子が完備されている。ムーミングッズのスペースは、観光客にも大人気。お土産を買うのにも最適だ。
 
 2階には、アート・ファッション・自然・料理・地図などの書籍が並ぶ。文房具をはじめ、紙の商品も充実している。面白いのは、一画にギャラリー・スペースが設けられており、季節ごとに地元フィンランド人作家による作品が展示される。これを見るために書店を訪れる人も少なくない。

 公用語であるフィンランド語、スウェーデン語をはじめ、英語やそのほかの言語の書籍も幅広く取り扱う。専門知識を持った書店員が丁寧に対応してくれるのも心強い。


1階、正面入り口を入ったスペースは、本棚が低めで圧迫感を感じない。誰もが本を手に取りやすいように工夫されたレイアウト。


いつも地元の人で大混雑のカフェ・アアルト店内の様子。照明器具のゴールデンベルのペンダントライトもアアルトによるデザイン。


 マルヨさんは言う。「学術書をはじめ多彩な商品の取り扱いなら、国内一です。『私たちが持っていないなら、誰もその書籍を持っていない。』という名言があるほどです。」

 客層についても聞いてみた。「主なお客様は、市内中心部に住んでいる、もしくは、勤務している人が多いです。男性より女性の方がやや多く、特に50代の女性が中心です。最近は、書籍を紹介するSNSのコミュニティ、”BookTok”の流行りによる影響もあり、20代の女性も増えています。若い世代の人たちにも、実際に書店へ足を運んでもらうことで、紙の書籍の魅力を肌で感じて欲しいです。地元の人のみならず、世界中から本や建築好き、学生たちが来てくれることは嬉しい限りです。これからも本好きの人々の情報交換の場としても活用して欲しいです。品揃えと接客サービスに満足してもらえるよう、努力をしています。」幅広い世代に愛されているのがわかる。

 最近の状況について聞いてみた。「3年に及ぶコロナ禍で厳しい経営状況が続きましたが、2022年と比較し2023年は、実際にお店に足を運んでくださったお客様が24%も増加しました。昨夏には、多くの観光客が訪れたことで、ヘルシンキの街と、書店には、活気が戻りました。今後もフィンランド語とスウェーデン語を中心に、そのほかの言語においても、質の高い書籍を提供し続けることが大切だと考えています。」



児童書エリアに設けられた読み聞かせスペース。いずれもアルテックの家具で統一されている。


子供から大人まで皆が楽しめるムーミングッズ売り場。絵本や雑貨などの商品が並ぶ。


お客様が語るアカデミア書店の魅力とは

 ヘルシンキ出身で幼少期から長年通い、本はいつもこの店で買うという、お客様のマリーア・スンドマン・ラークソさんに、アカデミア書店との出会いや魅力について話を聞いた。

「ヘルシンキ市内に生まれ育った私にとって、アカデミア書店は、いつも身近にある存在でした。子供の頃、両親と何度も訪れた思い出の場所で、ここに来ると当時の記憶がよみがえります。あの頃と何ひとつ変わっていません。幼い頃、両親から、本との付き合い方とアルヴァ・アアルトについて教えてもらいました。その影響もあり本が大好き、頻繁に購入するので、自宅の本棚にはぎっしりと並んでいます。なかでもよく読むのは小説で、村上春樹をはじめ、フィンランド人作家の、ヨエル・ハーハテラ、ソフィ・オクサネンなどが好きです。私にとって本は、心のよりどころであり、安心をもたらしてくれる大事なものです。何より人生をより豊かなものに、そして有意義な時間を過ごすことができますからね。」とマリーアさんは笑顔で話してくれた。

 アカデミア書店の魅力について聞いてみると、「ほかにはないとてもユニークな雰囲気。歴史を感じられる重厚な扉を開け、中に一歩入ると、紙の匂いが漂い、神聖な空間が広がります。アアルトは才能あふれる建築家だと思います。一見何もないようなシンプルな空間ですが、そこには美しさと機能性が兼ね備えられています。喧騒や雑音から逃れて、心が落ち着く場所を与えてくれました。アアルト建築、人、本が見事に調和し、安心感をもたらしてくれます。そして、私が親として何よりうれしかったことは、成長した娘が一人でアカデミア書店に通い始めたことです。新しい世代もまた、同じようにこの店に通い、これからの人生を歩んでいくのです。」と話してくれた。彼女の話はとても興味深かった。



保護犬と一緒にいつも通うという、マリーアさん。店内は犬もウェルカム!


各フロアに設置された椅子やソファで、ゆっくりと本を読む人々。


地元民に愛される名店喫茶「カフェ・アアルト」

 2階には、アアルトの名前がついた世界でひとつだけの「カフェ・アアルト」がある。映画『かもめ食堂』に登場したカフェとしても、日本人には有名で、多くの観光客が訪れる。

 コーヒーを飲みながら、お友達とおしゃべりを楽しんだり、購入したばかりの本を早速読んだりと、みな思い思いに素敵な時間を過ごしている。

 壁には、定期的に入れ替わるアーティストの作品が展示され、つい長居したくなる居心地の良さだ。フィンランドはもちろんのこと、世界中の人々から、これからも愛される学術書店であり続けることだろう。


※本記事は『八文字屋plus+ Vol.5 早春号』に掲載されたものです。
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