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わたしの愛読書(前編)

※一部寄稿者の肩書、表現(「前回」「最新」等)に掲載誌発刊時点のものがあります。


◎高橋義夫(作家)

 

 愛読書はなにかと問われると困ってしまう。何度もくりかえし手にとるのは、小説を書くために必要な資料のたぐいで、それを愛読書と呼ぶのはいかがなものか。半世紀以上もどうにか生きたから、読んだ本は思い出せないほど多いが、あえて三冊あげてみると、

①石川淳著『鷹』
②フィリップ・ロス著『ポートノイの不満』
③瀬木慎一著『日本の前衛・1945-1999』
ということになる。

 

 ①は、高校生のころに読み、現代の小説とはこういうものだと、深い感銘を受けた。石川淳の作品はほとんどすべて読んだといってよいくらい影響を受けたが、エッセイよりは小説、それも戦中・戦後の作品に力があり、『荒魂』までかと思う。

 

 ②は、二十代の終わりごろに読んだ。ロスには『さよならコロンバス』という青春小説の名作があり、ベストセラーにもなったが、ぼくは甘いものはロに合わない。『ポートノイの不満』を読んだんだころは、もうあまり小説を読むこともなく、まして小説を書こうという野心もなくなり、その日その日の賃仕事に追われていた。一読して、胸が高なり、勇気が湧いてきて、おれも小説を書いてみようかという気になった。

 

 ③は、いま現在、ときおり眺めている。戦後の美術界のドキュメントである。美術は門外漢だが、好きで少年のころから見ている。十代のころ、おもしろくてたまらなかったのが、当時の現代美術だった。
 『日本の前衛』に書かれた美術家たちは、必ずしも世俗的には成功したとはいえないが、みな古いものを打ち破り、新しいものを創造しようと、夢中になっていた。美術にかぎらず文芸界でもそうで、地下の根っこの一部は、政治と芸術とセックスというテーマに伸びていた。そのような熱気を浴びて、ぼくなどはおとなになった。『日本の前衛』を読むと、いまとなってはおろかしくもうらがなしくもある、あの騒々しい時代の熱を思い出す。


◎佐伯一麦(作家)

 

野川』(古井由吉著・講談社)
 老若男女を問わず、小説という表現に全身どっぷりとつかりたい人に。随筆の朗読ふうだったのがいつしか落語の噪ぎとなったかと思えば、能の謡曲や詩の朗詠、民族の滅亡の歌らしき合唱が聞こえ、そこに無言の舞を見ているような沈黙も挟まる。そうした戦後日本のさまざまな声、さまざまな人格が私の語りの中に分有され、自在に変幻しつつ語られていく。読後、遠い遙かな場所まで運ばれ、精神の深所の隅々まで文章によって洗われほぐされたような、健やかとも言える疲労感を味わうことかできるにちがいない。

 

『森敦との対話』(森富子著・集英社)
 山形を舞台とした名作『月山』の著者森敦が亡くなって十五年がたつという。
 本書は、森敦の謎の半生と素顔、そして『月山』誕生秘話を養女である著者が初めて明かしたものである。前回の芥川賞は、最年少受賞が話題をさらったが、森敦は史上最高齢の六十一歳で芥川賞を受賞した。〈新しいジャンルを切り拓く気構えのない奴は、やめてしまえ〉〈哲学のない文学は、大いなるものにつながらないんだ〉。随所に引かれる森敦語録には、現在の文学情況をも撃つ力がある。

 

『残光のなかで』(山田稔著・講談社文芸文庫)
 寡作な作者だが、本が出るたびに愉しみにして読み、それが決して裏切られない作家の一人。表題作は、独りゾラを偲ぶ旅で出会った老文学者の孤独な姿を描いたものだが、「なにもすることがないので、墓地にでも行ってみようかと思った」と始まる書き出しだけで、この作品に引き込まれてしまう。パリの街とそこで勁くつましく暮らす人々をやさしく見つめる「メルシー」「シネマ支配人」も味わい深い佳品。


◎笹沢信(編集者)

 

 今秋十一月に郷土出版社から刊行される『山形県文学全集』の編集委員の末席を汚したこともあって、この夏は山形県が舞台、もしくは山形県人が主人公になっている作品の再読に追われた。〈読んで欲しい三冊〉となると、愛読書である漱石のある作品や中勘助のものなどを推したいが、ここは範囲を狭め郷土関連の作品をあげてみたい。

 

楡家の人びと』北杜夫著(新潮社)
 この作品は作者自身の一族をモデルに明治以降の日本の近代化における家と個人とのかかわりを自伝的に描いたものである。作品の中で時代を象徴する事件、風俗は細密に語られており、同時代を生きた読者は歴史を追体験する思いにとらわれるだろう。魅力ある文章と内容は、この長編の長さを感じさせない。

 

砂の女』安部公房著(新潮社)
 この作品の舞台は酒田市の浜中である。四十二年前に執筆されたが状況は何も変わっていない。今読んでも新鮮であり、詩情とサスペンス、脱出のスリルに充ちている。二十世紀文学の古典と言ってもいいのではないだろうか。

 

『麦熟るる日に』中野孝次著(河出書房新社)
 この作品からは若き時代の作者の真摯な肉声が聞こえる。熊本の旧制高校に進んだ中野の前方にあるのは戦争による死の影だけである。今をどう生きればいいのか。中野たちが仙台に阿部次郎を訪ねる場面がクライマックスになる。教養主義者、阿部次郎は彼らに指針を与えることができたか……。


◎矢吹清人(エッセイスト)

 

 食べ物と同じで、本は人にすすめるものではないと思うが、何度読んでも面白い愛読書ならいくらでも書くことかできそうだ。

 

『月なきみそらの天坊一座』井上ひさし著(新潮文庫)
 先日金沢の「弥助」という名人の鶴屋のカウンターで偶然井上先生に初めてお目にかかった。ドキドキしながら「先生の月なきみそらの本が大好きです。家は山形の昔の県庁のところです」とごあいさつしたら、先生も立ってあいさつしてくださり感激した。この本はぼくが育った戦争直後の山形を舞台にドサ回りの奇術師に押しかけ弟子入りした機知あふれる少年の笑いと涙で描かれた傑作である。また文庫解説はぼくの師匠で、カードマジックの達人でもある(故)江國滋先生の名文であるところがうれしい。

 

『俳句とあそぶ法』江國滋著(朝日文庫)
 日本の俳句プームの火付け役となった、江國先生最大のベストセラーである。俳句といえば花鳥諷詠と言われるが、その常識をくつがえし「類型的発想」をメッタ切りにしているかと思えば、芭蕉の句にもこんなつまらぬものがあると堂々と説いていて痛快。小沢昭一さんや永六輔さんなどと一緒にやっていた「東京やなぎ句会」の「あそびの心」が随所に見られて愉快だが、遊びであればこそ有季定型を守り、まじめに俳句を作れとも諭している。先生はぼくらの素人句会「滋遊句会」初代宗匠で、もちろん句会のモットーは「句作はまじめに句会は楽しく」である。この心は二代目小沢昭一宗匠〔俳号変哲〕にも引き継がれている。

 

亜愛一郎の狼狽』泡坂妻夫著(創元推理文庫)
 直木賞作家の泡坂先生は本名を厚則昌男。奇抜な作品を数多く発表しているアマチュアながら日本のトップマジシャンでもあり、マジック大会で何度もお会いしている。普通ミステリーはマジックと同じく最後の種明かしを見たらおしまいだが、この亜愛一郎シリーズのストーリーと推理の独創性は他の追随を許さずただただ見事というほかはなく何度読んでも面白い。シリーズ三部作を読んで泡坂マジックの「とりこ」になった方には「曽我佳城全集」(講談社)をおすすめする。


◎丹羽徹(Office丹羽 元中央公論社)

 

『私の人生私の昭和史』上坂冬子 集英社
 我が事務所の大家さんである筆者の最新刊の義理読である。文章を書くことが特に好きだったというわけでもない平凡なライフワークとして戦中の事件を追い、関係者や遺族を捜して国内外を飛び回る。固く閉ざされたロを開き、事件の核心部分に陽の目が当たって行く過程を自著で回顧する。女の生真面目さと執念で体当たりして行く姿はまさに格闘技である。先ごろ筆者は本籍を国後島に移し、「北方領土の返還」を訴えている。

 

毎日の言葉』柳田國男 新潮文庫
 若者達によるチョウキモイ日本語の変貌を苦々しく思いなから、チョウダサイ駄洒落などを飛ばしまくる律儀なおじさん達が快哉を叫びたくなる一冊。「有難ウ」「スミマセン」「モッタイナイ」「イタダキマス」等々、地方の風習から発生し変遷していったそれらの言葉を平易に解説してくれるが、何と「言葉を粗末にするということは、符号のように使うことだか、今に始まったことではない」と四十余年も前に民俗学の大御所は断言している。

 

影武者徳川家康』上・中・下 隆慶一郎 新潮文庫
 元和二年(一六一六)歿、享年七十四歳と日本の歴史に記されているのは「影武者」の死であり家康本人のことではない。家康は関ヶ原で暗殺されていた。読了後、私はそのことを信じて疑わなかった。「徳川実記」をはじめ史書を丁寧に読みながら筆者は歴史的事実を立件し時代小説の醍醐味を贅沢に与えてくれた。二十余年前に無名の著者に出会った衝撃と興奮は今も拭えないでいる。優しく潔い日本男児の生き方が常に琴線に触れるのだ。

 

(出典:『やまがた街角 第20号』2004年10月1日発行)


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